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辞任すべき大臣は他にもいるが、他の大臣は心がちょっとイかれてる話

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6237738
これは驚いた。2回も立て続けに失言し、森友で揺れに揺れてる政権はこれ以上イメージを悪化させられては困るといったところだろうか。

今村復興相の発言は決して擁護されるものではない。しかし、今回今村大臣が辞任という形で責任を取ったことは評価ができるし、正常な心をお持ちであると思う。

山本太郎議員は先の今村大臣の自己責任発言に際して、議会で今村大臣にはがっかりしたと発言した。というのも、今までの復興大臣の誰より親身に話を聞く様子を山本議員が見たからだという。加えて、被災地応援のため被災地のアニメ製作会社のグッズであるネクタイを身につけているなど、一概に悪者と捉えるのは誤りのように思える。今回今村大臣は、責任を取って辞任したのだから彼は誠意を持って職務に望んでいる(少なくとも、ここ数ヶ月多くの他の大臣も失言や大人とは思えない答弁をしているが辞任はしていない)と言えるだろう。

人の表情のはなし 電車ミュージアムにて

私たちの顔にはいくつもの細かい表情筋というのがついていて、その一つ一つが精密に機能することによって、ありとあらゆる感情を表現する。人間ほど朗らかで滑らかな表情を作り出せるロボットは未だ誕生していない。(ただすごく進化はしている)

 

この表情はいくつものパターンがあり、大雑把に分類することはできてもそのすべてを学術的に定義することは不可能だと考えられる。というのも、一人一人もっている表情筋や骨格、筋肉の発達度、その人の性格など様々な要素が相互に影響し、その人の表情となるからだ。

 

この複雑な表情を読み取るのが苦手な人も世の中位はいる。アスペルガー症候群発達障害を持つ人は表情を読み取ることが難しい傾向にあると言われている。ただ健体者(スーパー猛毒ちんどんの代表の方が使われている言葉。健常者より私は好きなのでこちらを使うことにする。解釈が間違っていたら、申し訳ない)の中にもこの傾向がある人がいると私は思う。表情を読むというのは意外に難しいのだ。

 

例えばこんな場面を想像してほしい。あなたが好きな人と2人っきりになって、あなたは意中の人に「好きな人いるの?」と聞いたとする。その後あなたのマドンナは、一瞬言葉につまり、そのあとこう言う。「別にいないけど?(にこっ)」教室に友だちが帰ってくる。その真相をあなたは確かめることはできない。

どうだろう?マドンナの数少ない情報から彼女に脈があるかあなたは必死に考えなければならない笑

このように、非言語コミュニケーションはたくさんの可能性や解釈の仕方があり、とてもおもしろい。人の表情を細かく描写するのには限界があるし、またそれに挑戦する面白味もある。

 

話がまたそれてしまうが、日本人はこの表情を文字のツールで表現することに挑戦した人たちだと言える。例えば日本のガラケーに用いられていたキャリアの顔文字は、MOMA美術館に展示されているのだ。そして今日でも我々はその顔文字に加え、絵文字からスタンプといったツールを実に繊細に使用し、文字によるコミュニケーションに非言語コミュニケーションまでをも取り入れようとしているのだ。( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

私が一番伝えたいことをやっと述べようと思う。私は毎日学校に通学する際電車を利用している。また休日も電車に乗って都心に出る機会が多い。電車の中は言い換えれば、ヒトミュージアムであり、表情ミュージアムだ。今日電車に乗っていたら、眉間にシワを寄せているメガネをかけた中年男性と3歳くらいの親子に出会った。父親は黒いダウンに、花粉対策のメガネをかけ、ジーンズを履いていた。買い物帰りなのだろう、袋と箱に入った靴をもっていた。お父さんは常に険しい表情で、子どもは大人しく座っていた。

 

電車を乗り換えると、そこには別の家族が座っていた。お母さんと、母方の祖母と、小学校2年生くらいの娘、立ったり座ったり落ち着かない3歳くらいの息子の4人だ。こちらの家族は先ほどの父親と対照的だ。眉間にシワがない。私の隣に座っている人は恐らくその家族の身内ではないのだが、穏やかな顔でその家族の和やかな雰囲気を楽しんでいた。「あら、パンツが見えちゃってる」隣のおばさんが、三歳の男の子に話しかける。楽しそうである。

 

電車のミュージアムには今日もたくさんの人がいる。あなたは、どんな非言語コミュニケーションを取りたいか。あなたの眉間にシワが寄っていれば、すぐに伸ばそう。あなたの表情はそのままあなたの内面を表す。怖い人より優しい人に私はなりたい。

LGBT配慮が急速に進む理由を悲観することはしない

 

さて、最近企業のLGBT関連の動きが加速しているなと思っていたら、裏にはこう言った理由があったのですね。

オリンピックを機に、その動機が利益のためであったとしても、現状が前に動いていることは評価するべきですね。

同時に、そこで働いている人々が真の意味でマイノリティへの理解を深めてほしいそう願うばかりです。「オリンピックのせいでさ、うちもいろいろ受け入れとか補助とか出さなきゃいけなくなってさ。困ったもんだよな」などという声はきっとでてくる。

でもいつか、LGBTが当たり前になって、なぜLGBTが日本企業で広く受け入れられるようになったかという歴史を人々が忘れてしまうくらいフレンドリーな世界が来るといいなと日々願っています。

 

オリンピックは負の部分も大きいですが、時代を前に進める推進力であることには違いないようです。

私に見えている世界

とても興味深いトピックを見つけた!!

単純作業や面倒でつまらない仕事だと、どうしても注意力が続きにくいのが私たちです。
また、記憶を「ちょっと保存しておく」ための「前頭葉」のワーキングメモリーが、あまり広くない特性も持ち合わせているとも考えられています。
すると昔の失敗をさっと忘れることができます。
だから私たちは、「前例を無視して」「新しいアイディアを出す」ことに優れているのです。 

「うっかり」「ドタバタ」「飽き性」な自分を愛して育てる方法!~『「ADHD脳」とじょうずにつき合う本』 - 猫のメメとモエ より

 なるほど…私の頭はADHDのタイプに似ている頭脳を持っている。側坐核やワーキングメモリーの働きが一般的な人に比べ弱い。

上記に書いてあるように、ちょっと覚えるのが本当に苦手だ。どれほど苦手か具体的な例をあげよう。

例えば、最近だと春学期になり授業が全て新しくなる。教室も新しい教室で、大学になると自分のクラスルームを持たないため、すべての授業に様々な教室が割り当てられている。加えて、教室は一つの建物に集約されておらず、さまざまな校舎に教室がある。(私の大学の場合です)さぁこうなってくると私の頭は少し混乱する。なぜなら、教室の数がまず多いので処理しきれないし、それぞれ別の教室を与えられているから、次はどこだったっけと不安になる。

ここから本題だ。今日の1時間目の授業の場所はどこだっけ?と電車を降りたら確認を始める。人が雑踏としている中、足をとめ、荷物がたくさん入ったカバンをあさり、やっとファイルを出して、今日は206だ!などと確認する。階段を降りている時、私は心のなかで、「206。。。206。。。」と唱える。そして、スイカを取り出し、タッチをする。駅前の広場には沢山の人がいて、「あ、あの子美人だな。。あ!イケメンやぁ。。。」とか「良いファッションしてるな覚えとこ」とか「ここ工事始まったんだ!何が出来るのかな」と頭で考え始めてしまう。これはもう止められない。私の頭のなかで洪水のように溢れ出す。耳には人々の話し声が聞こえ、工事の音が入り、携帯ショップの店頭の音楽が入ってくる。

 

どうだろう。これが私の認識している世界である。すべての刺激を受け取ってしまうのだ。頭のいい読者ならお気づきのように、さっきまで唱えていた「206」はとっくにどこかへ消え去ってしまう。そうして、キャンパスに到着した時、私はこう思うのだ。「あれ、私はどこに行くんだっけ。確かさっき駅で確認したんだけど…。うーん。もう一回みよう!あぁ206だったか。そうだったかな。全然記憶にないや笑」などと一人でやっている。そして、エレベーターかエスカレーターのどちらにするのかという会議を一人で開き、やっとエスカレーターで二階についた時、私は、二階の何番教室だったかもう忘れている。ここでもう一度ファイルを出し「206か」と確認するのだ。(1ケタ目が回数で、残りの2ケタで教室番号が表されている)

 

大変でしょ?笑

だからこの世の中は行きづらいのです。部屋は、2階のリスさんの部屋とか、5階のキャンディールームとか名前をつけて欲しい。そして、2階のリスの部屋の壁には実際にリスの絵が書いてあるとかして、教室の見た目を差別化していただきたい…まぁできればだけどね。

 

先日の小説読解の授業で先生がおもしろいことをおっしゃっていた。

「この世界の認識は一人ひとり違っていて、全く同じという人は存在しない。しかし、世界は一応同じに見えてるとしてことを進めていく。そうでないとあらゆる物事を決められないからだ。しかし、実はあなたの見ている世界とわたしの見ている世界は少し違うのだ。このズレは様々なところで様々なズレを生じさせる」。

興味深い指摘である。同じものを見ているとみんな思っているが、実は違うものをみているのだ。この世界はすべて人によって認知されたものであり、残念ながらその認知を統一するようなシステムはまだ生まれていない。私はあなたの世界を見ることはできないし、逆にあなたは私の世界を見ることはできないのだ。