言葉の定義を閣議決定する恐ろしさ
http://www.mainichi-kotoba.jp/2017/05/blog-post_13.html?m=0#QJTnBtM.twitter_responsive
言葉とは私たち皆が平等に持つべきものです。もし言葉が誰かの手によって操作されたり、制限されると、私たちの言葉が一部の人々の所有物になってしまいます。ですから、この閣議決定は言葉を一部の人が定義するというとても危険な行為と言えます。
例えば政府が、政府の利益になるように言語をどんどん閣議決定していくと、ある日私たちの身近であった言葉がとても遠い存在になってしまい、もう自由に言葉が使えなくなってしまうかもしれません。ですから、この閣議決定に我々は日々言語を使うものとして、そして、言論の自由の権利を持つ国民として強く批判しなければなりません。
閣議決定で総理大臣の呼称には様をつけなければならないなどとなるとどうなるでしょう。私たちの大切な言葉を誰かによって制限されること、言葉の定義が一部の恣意的な意味に変えられてしまうことがあってはならないのです。
現安倍晋三政権は、私たちから言葉を奪いかねない行為を平気でやってのけました。言葉は私たちの思考を形作るものです。私はこの閣議決定は憲法違反に値するレベルのもので、到底納得することはできないことを表明します。
僕は人の腹から産まれたい かも…
これ、人間でやったらあかんくない?
いろいろ倫理的問題出るよね
子ども産みたいけど産めない身体の人にはいいかもしれないけれど、人工子宮で人間を出産?することをよしとすれば、問題多発。。。
辞任すべき大臣は他にもいるが、他の大臣は心がちょっとイかれてる話
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6237738
これは驚いた。2回も立て続けに失言し、森友で揺れに揺れてる政権はこれ以上イメージを悪化させられては困るといったところだろうか。
今村復興相の発言は決して擁護されるものではない。しかし、今回今村大臣が辞任という形で責任を取ったことは評価ができるし、正常な心をお持ちであると思う。
山本太郎議員は先の今村大臣の自己責任発言に際して、議会で今村大臣にはがっかりしたと発言した。というのも、今までの復興大臣の誰より親身に話を聞く様子を山本議員が見たからだという。加えて、被災地応援のため被災地のアニメ製作会社のグッズであるネクタイを身につけているなど、一概に悪者と捉えるのは誤りのように思える。今回今村大臣は、責任を取って辞任したのだから彼は誠意を持って職務に望んでいる(少なくとも、ここ数ヶ月多くの他の大臣も失言や大人とは思えない答弁をしているが辞任はしていない)と言えるだろう。