平等な民主主義を装った、政府主導のとんでも茶番「憲法改正国民投票」
これ読みました。
憲法9条とか、緊急事態条項とかもちろん議論は必要なんですけど、その決め方って一番大事ですよね?
クラスの学級委員を決めるのに誰かが絶対に勝つような決め方があっちゃだめですよね
そもそもですね、先日拝見したテレビで坂井さんという教授がおっしゃていたのですが、重要なことは多数決では決めてはいけないとか。ということは、クソほど重要な憲法を多数決で決めること自体考え直す必要がありますね。
多数決の議論は一旦置いておくとして、「憲法改正国民投票」について考えたいと思います。
問題点は、この法律の中で、広告の制限がされていないことです。公職選挙法では、投票活動について厳しく制限がされていますが、国民投票法においては制限がゆるゆるです。
お金を持っている人が、無制限に広告を出すことができます。投票日の2週間前からテレビCMでの「国民投票運動」ex)「みなさん賛成/反対に一票を」は禁止されていますが 、「意見表明」ex)「(有名タレントなどが)私は賛成/反対です」とすることについては禁じていません。ということは、実質的に投票日まで呼びかけ可能ってことです。
テレビや新聞、雑誌などは、より多くお金を出してくれるところに広告枠を渡します。ですから、資本をもっている政党が、おいしい広告枠を、たくさん勝ち取ることができるわけです。これを制限するルールがないのです。
重要なことを話し合うのに、どちらか一方の意見ばかり広告される法律では、民意がでるとは思えません。無制限の広告合戦の結果は、誘導された民意(洗脳された民意)といえます。
自分で広告に影響は受けてないと思うかもしれませんが、それは自分がそう思いたいだけなんですね。広告のある環境に身をさらしている限り、影響を一切受けないというのはほぼ不可能です。それほど、広告には力があるのです。(巨大な広告企業である電通などが手がける場合)ですから、諸外国では、国民投票における広告について制限をかけている場合がほとんどでした。当たり前ですよね。(第三章に詳しく書いてありました)
このまま国民投票が行われたら、資本のある勢力、つまり自民党が圧倒的に有利です。僕は、別に改憲に反対とか賛成とか言いたいのではなく、正しいルールの下投票が行われることが民主主義だと思うのです。こんな決め方で行われた投票にはほとんど意味がありません。得する人は、広告代理店と広告を流すメディアだけです。法改正なしに、憲法改正の国民投票はあってはならないのです。
田上富久市長の平和宣言 私たちが核廃絶を訴えなくてどうする。
長崎市長 田上富久氏による平成29年の平和宣言
https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=dVKfYgqSMBY
http://nagasakipeace.jp/japanese/peace/appeal.html
田上市長の志に感動します。日本が核廃絶を世界に訴えなくて、一体誰が訴えるのか。目の前で聞いている、安倍晋三さんは一体何を感じたのか。
核兵器禁止条約について、田上市長は
>「交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」
とおっしゃっています。その通りです。
ライスワークなんて辞めてしまえ
はい今日は労働のお話です。
このブログも半年運営してきました!!
もう少し大きくさせたいと思います。
今日の主張はこちら!
ライスワークをなくし、ライフワークにしていこう
食いつなぐためだけに働いている仕事をライスワークと言います。その仕事が嫌で仕方なくて、待遇も悪く、やめられるならやめたいというのがライスワークです。食うだけのための仕事。
ライスワークっていうのは自分の信条が伴っていませんから、苦しいんです。「でもライスワークやめたら生きてけないんだ!どうしろってんだよ!」まぁまぁ落ち着いて。
少し冷静に考えてみましょう。日本の平均寿命約80歳です。四年制大学を卒業し、就職するのが23歳ほど。そして、退職を60歳(最近では65歳になりつつある)と考えると、約40年間は人は主に働くことに時間を費やします。ということは、どのように働くか、なにを職業とするかは、あなたの生き方に大きく関わります。人生の大半をライスワークにしていいのか?という疑問を社会に投げかけたい。
本当にその仕事しかないのか。いいえ、あるはずです。インターネットがこれだけ広がった時代ですから、無限の働き方、まだ誰もしたことのない働き方があるはずなのです。
ライスワークは心と体を蝕み、メンタルヘルスに大きく影響すると思います。一方で、自分の信条が伴ったライフワークは、メンタルヘルスを健康なものにしてくれるでしょう。
働くことに誇りをもっているか。自分の人生の大半をただ食うための時間にしていないか。これは多くの人が真剣に考えるべき課題だと思います。
自分の心に嘘をつくことなく、生き生きと働く社会の到来を望みます。