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南スーダンでジェノサイド再発の恐れ。私の緊急声明

 国連は、南スーダンで1994年のルワンダジェノサイドが再び繰り返される恐れを指摘した。(国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子 民族大虐殺の瀬戸際に立つ南スーダン国連安保理の武器禁輸措置決議に日本が消極姿勢なのはなぜなのか。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20161203-00065094/)私は、大学のゼミで先月までルワンダジェノサイドについて取り上げ考えを深めてきた。なので、この国連の発表に青ざめている。もしあの悲劇が繰り返されることがあったら…そして、今ここで世界が手を打ち、未然に防がなかったら…。この発表は、今まさに南スーダンで異常事態が発生していることに他ならない。ジェノサイドが起こらないにしても、現在の南スーダンはジェノサイドが起こってしまうような材料が揃いつつあるのだ。特定の状況下においては、多くの人々の価値観、常識とされるものが徐々に異常な方向へと変化し、その流れがさらに大きくなったとき、そこには社会から逸脱した秩序が生まれてしまうのである。(おおよそこれが、内藤朝雄という学者の理論の一部であるが、私の解釈に過ぎないので詳しくは「いじめの社会理論―その生態学的秩序の生成と解体」柏書房、「いじめの構造」講談社をご参照。おすすめ。)
 これは、大変な事態である。加えて、先ほど成立してした安保法制に従い、自衛隊の新任務がここ南スーダンにおいて実行されている。未だに、安保法制への様々な議論が行われている中で、初の運用がこの異常事態の南スーダンなのである。初めて実行する事柄にはトラブルがつきものである。そのトラブルから学び、新たに議論をし、改善していくのは一般的なプロセスだろう。しかし、どうだろう。法制自体が揺らいでいる中で、緊張が最高潮に高まっている南スーダンで初の運用が行われているのだ。日本の自衛隊員が南スーダンで死んでしまった、あるいは、日本の自衛隊員が戦闘に巻き込まれてついに武力を行使したとなれば、これはもう、米大統領選挙並にあるいは、それ以上に世界に激震を走らせる。なぜか、は後述する。
さて、日本政府が南スーダンの現状についてどのように解釈しているか見てみよう。

>自衛隊PKO国連平和維持活動)に参加する南スーダンで7月に発生した、政府軍と反政府側の大規模な武力衝突について、
安倍晋三首相は10月11日の参院予算委員会で「戦闘行為ではなかった」との認識を示した。
>稲田氏は「戦闘行為とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とした上で、南スーダンの事例は「こういった意味における戦闘行為ではない。衝突であると認識している」と回答。
(THE HUFFINGTON POST 安倍首相、南スーダン武力衝突は「戦闘行為ではない」 厳戒視察した稲田防衛相は...  http://www.huffingtonpost.jp/…/10/11/sudan-pko_n_12438978.h…

 もう言うまでもない。これは明らかに国連の発表との認識のズレ、切迫感のズレが生じている。国連のジェノサイド再発の危機という指摘に対して、温度が違う。さて一方で、PKO活動において犠牲者が生まれることについて肯定的な論が一定数あるようだ。これに対しては、日本が戦後以来守り抜いてきた9条の国際的な評価というところから反論ができる。そしてこれが、前述の日本の自衛隊員がPKO活動において死亡あるいは武力行使した際に世界に激震が走る理由である。以下は、NGO非戦ネットによる「南スーダンにおける自衛隊への新任務付与を見合わせ、 武力によらない平和貢献を求める」声明である。

>民生支援によって培ってきた日本への信頼を損なう
日本は南スーダンの独立以前から南スーダンに民生支援を行っており、現地の住民の日本に対する信頼は高い。またこの地域において植民地支配の歴史から無縁であることも相まって日本は欧米とは違った親近感を抱かれている。しかし一度武力介入を行えばこの信頼と親近感は一気に敵対感情に変容する危険がある。すでに政府のみならず住民のPKO に対する反感が存在していることを考えると、PKO による住民保護の任務は極度に困難が状態に直面している。お試しで駆け付け警護をするというような事態ではもはやなく、日本は全く別の角度から平和貢献をすべきである。(NGO非戦ネット 【声明】「南スーダンにおける自衛隊への新任務付与を見合わせ、 武力によらない平和貢献を求める」2016/11/14  http://ngo-nowar.net/2016/11/14/seimei_south_sudan/

 ここで言われているように、国際社会において日本は、欧米とは異った信頼感を持たれている。戦争をしない国、武力を用いない国と認識されているのである。これが、戦後以来日本が築き上げてきた9条ブランドなのだろう。もう私がかれこれ中学生時代から考え訴えたことだが、(中学時代に日本の自衛隊活動について学年集会で未来提言をした)国際社会において日本は、この9条ブランドをアピールし、武力を使わない分野での国際貢献を行っていくべきなのである。しかしながら、今現在すでに日本に対する平和のイメージには揺らいでいるという。先日大学で受けたイラク支援ボランティアを行っている高遠菜穂子さんの話によると、現地の方は「平和の国から軍隊が来た!」と語っているそうだ。日本が取るべき行動については、再びNGO非戦ネットの声明を引用させていただく。

>日本の独自性を生かした貢献を
日本が今なすべきなのは、非軍事かつ日本の独自性を生かした和平に向けた平和貢献である。現在の南スーダンは国民統合が存在していない以上、インフラ支援を中心とする民生支援もすぐにできる状態ではない。日本が優位性をもつのは非軍事の分野での支援に対する住民の信頼と、対立する諸勢力に対して比較的中立だと認識されていることにある。他国の国民にも平和的生存権を保証するとする憲法の前文と国際紛争を武力において解決しないという9 条の規定を掲げることで、対立する諸勢力に和平に向けた対話を外交的に働きかかること、国民の和解、融和に向けた支援を和平に向けた対話とセットで打ち出すことが可能である。また、現在250 万人にも達する国内避難民と難民に対する人道支援も日本の優位性を生かして大規模かつ顔の見える形で行う必要がある。このことが、対立する諸勢力や住民の信頼を一層高め、国民和解と融和に向けた取り組みの環境を醸成することにもつながる。(NGO非戦ネット 【声明】「南スーダンにおける自衛隊への新任務付与を見合わせ、 武力によらない平和貢献を求める」2016/11/14  http://ngo-nowar.net/2016/11/14/seimei_south_sudan/

 南スーダンで今起きていること、そして日本の自衛隊派遣について国民的議論をしていかなければならない。今は、国民が賢くなり、政府に対する監視の目を強めなければならない時代になった。
「いろいろ問題があるっていうけど、そんなの私が生まれる前からいつでもあったでしょ。」などと思うかもしれないが、実は今我々は、戦後以来最大の分岐点であり歴史が大きくここで変わってしまうようなポイントに立っている。これは直接的には、大学で受けたジャーナリスト金平茂紀さんの意見であるが、同時に弱冠19歳である私も感じていることである。そういえば、高校で国際関係の授業をしていた教員も同じようなことを言っていた。平易でエモーショナルに言えば、「今マジでヤバイよ。お前もガチで考えたほうがいいって」という感じだろうか。
 南スーダンの戦況は刻々と変わりつつある。ジェノサイドという最悪な結果になる前にできることは何か。あなたはどう思うのか。