みたらし垂らした人たらし

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東京の大学生が日常にあれこれ言うページ

福島に思いをはせて

ずっと投稿していませんでしたが、2016年の夏に福島に行きました。大学の有志が集まり、仮設住宅の方々と交流、その後に飯舘村の現状をバスツアーするという一泊2日の企画に参加したのです。

思うことがありすぎて、どの点から述べていいか分かりませんでした。
みなさん震災のことを話されるとき、さっきまで笑っていたのに急に悲しそうな顔になります。当たり前ですね。5年が過ぎてもその傷は癒えないのです。「私もテレビでヒサイシャを見てきた。他人事だと思ってた。当たり前がある日突然当たり前で無くなる」そう住民の一人は話してくれました。

陰陽で書くとして、まず陽の部分。それは福島の方々は本当に強いということ。驚きました。みなさん本当に笑顔が絶えない。とっても元気です。飯舘村を見学した際、立入禁止区域の手前で私たちはバスを停め外に降りました。バスに帰ると、「みんな放射能たくさん浴びたか?」と住民の方。ブラックジョークか、ジョークにでもしないとやってけないのか。。。僕らにとってはとてつもなく重い一言でした。目に見えないのです。浴びたかも分かりません。においもしません。たくさんの大人が目に見えないものを必死に取り除いています。線量計でもなければ、そこにあるのは雄大な自然ただそれだけなのです。

と書いているうちにも陰の部分に。。確かに一歩ずつ着実に復興は進んでいます。しかしながら、もう数百年先まで住めない地域もあります。原発は住む場所とそこにあったコミュニティを破壊しました。誰にも直すことはできません。若い世代は全国各地に散らばり、新たな仕事を必死で見つけ、新しい生活にシフトしている方が多いです。福島に残っているのは、高齢の方。私が訪れた仮設住宅もみなさんご高齢でした。その仮設住宅も、6年の月日が過ぎ、取り壊されます。仮設住宅にも、震災からずっと築き上げてきたコミュニティがあります。それもまた、壊されます。なんて勝手なのでしょうか。(もとの場所に戻れる人もいるのだからいいじゃないかって?戻る場所がない人もいるのです。今の交友関係がバラバラにされる、国に振り回されるのをイメージしてください)

僕はとてもとても痛くて苦しいのです。ズキズキします。取り返しのつかない事故が起きてしまったのです。でもなんだかおかしい。まだ原発廃炉にしないし、また動かしている。分かります。エネルギーの話。きっとこう言ったらたくさん批判される。でも、頭おかしいんじゃないの?狂気じゃないの?そう問いたい。あの事故を起こして、まだ原子力発電を続けるかと。僕がお会いした仮設住宅のみなさんの前で、どんな理屈を並べても再稼働した方がいいなんて言えません。原子力ムラで洗脳され、人質にとられ、土地を奪われ、捨てられる。これは紛れもない暴力です。

原発に大賛成の方。いらっしゃいましたら、一度福島に足を運び、被災された方と話してみてください。
飯舘村でこの目で見てきました。おぞましい数のフレキシブルコンテナバック、通称フレコンバッグ。立ち並ぶ除染作業中の蛍光色ののぼり。見かける人は市民ではなく、除染作業員。端的に言って、異常です。ゾワゾワします。世紀の大事故が私の生きている今起こったんだということ。

復興が進んだ?一体どこの誰がそう言ったのか。
原発を再稼働させるメリットが見当たらない。
あなたはどう思いますか?後世に伝え続け、こうして訴え続けること。それが今僕にできることだと思います。