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東京の大学生が日常にあれこれ言うページ

みんなで21世紀の日本の性解放運動を起こそう

多様性のある社会をなぜ私が求めるかといえば、ある観点からみれば社会的弱者である私が暴力にさらされるのが怖いからだ。僕はセクシャルという観点で言えばマイノリティにはいる。だから、これまで、ひどいことをたくさん耳にし、目にし、傷ついてきた。でももっと傷ついたのは、私が傷つけた相手に「傷ついた…」と言えないこと。そして、相手が私を傷つけたと知らないこと。

 

痛みを伝えられないことほど、辛いことはない。あなたが、怪我をした時、とってもとっても痛くて辛いのにそれが相手に伝えられないし、その不自然さを隠すために無理に笑顔を作るそんなことを想像してみて?それって辛いでしょ?

 

でも僕は、こちらの世界で楽しんでいるし、そんなに辛いって思わない。たまーにぐさっとくるけれけど。僕が求めることはセクシャルに対してみんながもっと、柔らか頭になればいいのになぁってこと。僕が傷つくのは多少は我慢するけど、でもセクシャルによっていじめられたり、不遇に合わされるのは絶対にあってはならないと思う。セクシャルに苦しんで自殺してしまうケースもあるんだって。

 

何の罪もない人が苦しめられるのを、暴力という。そして、社会が1人の人や特定の集団に暴力を振るうことを、構造的暴力という。もっとみんなが性に関して勉強していれば、その命は失われなかったかも知れないんだよね。

 

文部科学省は10年ごとに教科書の基本的な指針の大きな改訂をする。残念ながら、その中にLGBTのことは盛り込まれなかった。残念というか、これは暴力だ。今社会で起きている暴力を横目で見ながら、政府はその暴力に加担した。

 

ナポレオンが市民に与えたものは、啓蒙思想だ。日本政府は国民に、多様な性に対する啓蒙をわざとしなかった。国民の理解が得られないだろうというタテマエだけど、僕から言わせればここには日本会議さんとか右翼の力が働いていると思う。全く古いよね。戦後レジームから一番脱却できてないのは安倍晋三さんあなただと思うよ。

 

でも日本のみんながもっともっと関心を持つことがあれば、政府だって教科書に慌てて入れると思う。常識ってのは5年、10年で大きく変わるんだ。だから僕にできることは、性の多様性を認めようよってちょっと友達に話してみること。そして、セクシャルをネタにしたジョークでキャッキャおかしいねって無理に笑わないこと。断固として、暴力に手を貸さないってこと。僕からの宣言だよ。