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言葉の定義を閣議決定する恐ろしさ

http://www.mainichi-kotoba.jp/2017/05/blog-post_13.html?m=0#QJTnBtM.twitter_responsive

 

言葉とは私たち皆が平等に持つべきものです。もし言葉が誰かの手によって操作されたり、制限されると、私たちの言葉が一部の人々の所有物になってしまいます。ですから、この閣議決定は言葉を一部の人が定義するというとても危険な行為と言えます。

 

例えば政府が、政府の利益になるように言語をどんどん閣議決定していくと、ある日私たちの身近であった言葉がとても遠い存在になってしまい、もう自由に言葉が使えなくなってしまうかもしれません。ですから、この閣議決定に我々は日々言語を使うものとして、そして、言論の自由の権利を持つ国民として強く批判しなければなりません。

 

閣議決定で総理大臣の呼称には様をつけなければならないなどとなるとどうなるでしょう。私たちの大切な言葉を誰かによって制限されること、言葉の定義が一部の恣意的な意味に変えられてしまうことがあってはならないのです。

 

安倍晋三政権は、私たちから言葉を奪いかねない行為を平気でやってのけました。言葉は私たちの思考を形作るものです。私はこの閣議決定憲法違反に値するレベルのもので、到底納得することはできないことを表明します。