みたらし垂らした人たらし

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東京の大学生が日常にあれこれ言うページ

人に優しくできない社会病理

わたしは駅のアナウンスに敏感だ。

駅のアナウンスとか、宣伝とかは何度も耳にふるものなので、勝手に私たちの頭に住み着いてしまう。だからこそ、敏感に反応しなければならない。言ってることが正しいのか、その裏に何か別の真意が隠されてないか考えなければならない。

 

盲目の方が線路に転落し死亡する事故が起きてから、そのアナウンスは始まった。「手助けが必要なお客様はお気軽に駅係員にお申し付けください」「困っているお客様を見かけたら、大丈夫ですかとお声掛けをよろしくお願いします」…

 

僕はよくJapaneseは親切だって聞いて育った。でもなんかおかしい。親切なはずの日本人なのに、いい大人がいい大人に、手助けしなさい!と1日に何遍もスピーカーから注意している。これはもう社会病理だと思う。。。

 

困っている人を切り捨てる社会になってきた。なるべく面倒は避けたいという社会になってきた。助けたい気持ちがあっても、行動できない社会になってきた。

 

どうしてだろう?

 

僕はこんな風に考えた。

きっと国民が、誰かを切り捨てるマインドを持ってくれることによって得をする人がいるってことを。

か弱い小さな誰かの声を、拡声器📢を使った偉い人の大声で消してしまおうってことだ。

見ないようにしようってこと。

そんなものはないってことにしようってこと。

でもそれはなんか、まずいかもしれないから、取り敢えず録音したテープで助け合いの綺麗事流しておこうかってこと。

 

なんか悲しいな。みんなで手を取り合ってって教わった気がした。でもその大人たちは、手なんか取り合ってなかったんだ。蹴落としあって、首を絞めあってたんだ。

僕だってもう大人と言われる年齢になる。気がついたよ。大人って実は何か分かんないんだよ。子どもとそんなに変わらないんだ。でも大人が言ってることは、エライってしとけば、子どもが言うこと聞くから楽なんだ。

 

みんなもっと頭で考えよう。

心で感じよう。

なんか変だよ。とっても変。